ピアニスト望月衛介のe-message

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2011年 09月 04日

千鶴おばあちゃま。

(このブログに何度となく書いてる)
父方の祖母が亡くなった。
望月千鶴(ちづ)、享年102歳。

大往生です。

亡くなったのは9月2日11時7分。
上海にいっている間です。

二週間まえぐらいから調子をくずしていて
もうだめだろうといわれていました。

見舞いにいっていた母から
少し調子を戻しているようだと聞き
上海から戻ったらすぐに会いにいこうとおもっていました。


きょう、病院から実家に戻った
おばあちゃまに会いにいってきました。

とても
やさしい、おだやかな顔です。



父は5人兄弟なので
(しかも全員男。)
親戚一同集まると40人以上。
ビッグファミリーです。

2年まえ、100歳の誕生日を迎えたときに
みんなで集まりました。

「100まで生きる」と公言していただけあってその目標を達成して、
日に日に劣る体力と向き合いながら日々を過ごしていたのだと思います。


僕は千鶴おばあちゃまと
中学から高校までの6年間一緒に暮らしていました。


そして、僕のおばあちゃまはそのときから時がとまっていました。
ずっとそのまま生きてる気がしていました。

なので
一緒にすごした思い出はたくさんあります。

小学校の教員をやりながら
5人の男の子を育て上げただけあって
とてもタフで元気な人でした。

だからとってもおせっかい。

あらゆることに気を回して
口をだして、手伝おうとしてくれました。

当時僕は京都の中学校から目黒の中学校に転校して
多感な年頃だったので
そんなおばあちゃまに、少し反発していました。
一緒に暮らしていた兄のほうがもっとそうだったかも。。

おせっかいのたびに
「もういいからっ!」っておこると
「そうかい?」といってちょっと残念そうな顔をして微笑んでいました。


彼女は有言実行、決して責任を逃れることをしませんでした。

教員生活の最後数年間は
特別学級(障害児学級)の教員をしていました。

誰もやろうとはしなかったからです。

教員生活を終えたあとも
行政の相談員をやったり
(きょう、実家にいったらその長年の功績に感謝状が飾ってあった。)
絵画をはじめて何度も個展を開いたり
詩吟やハーモニカなんかもカラダがだめになるまでやってたな。
(実際はカラダがだめになるというより、ほかのひとに気遣いさせるのが
悪いからという理由のほうが大きかったと思う。)

とにかく目標を決めて
最後までやり通す。

そんな人でした。
(自伝なんかもつくちゃってた。それも宣言して。笑)



そんなDNAは望月家に脈々と流れていると思います。

父にも僕にも。


いま、そんな偉人が
小さくなって眠っています。

こんなに小さかったっけ。。。

僕の記憶と違うぞ。


きっと
彼女は幸せだったと思う。

やりたいことは全部やった。

健康なビッグファミリーをつくった。

人のために一生懸命奉仕した。

そして100まで生きた。


間違いなく天国だよ。

おばあちゃま。。。
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by eisukem | 2011-09-04 21:57 | その他


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