ピアニスト望月衛介のe-message

eisukem.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:電通( 9 )


2010年 11月 08日

スカイマークがA380を購入!

以前、こんな記事をかいた。


そう、僕はA380には人一倍思い入れがあるのだ。
(記事のつづきがなくてごめん。笑)


電通時代に
この巨大な飛行機をセールスのコミュニケーションを担当していたから
フランス・トゥールーズにも出張していた。
c0029779_22135538.jpg



















この写真は
トゥールーズの街を
分割して製造された機体を巨大なトレーラーで
移動させているところだ。

エアバスは4カ国による共同事業なので
フランスだけではなくドイツ、スペイン、イギリスで製造されている。

それらを
最後トゥールーズで組み立てるのだ。






ところで
今日、スカイマークが購入を決めたと報道があった。

以前、全日空が購入とニュースがあったが
それはその後の不況で消えた。

さて
スカイマークはどの路線に就航させるのだろうか。


そんなタイミングでエンジントラブルのニュースがでているのも
ちょっと気になるが。。。


また
この話題、ときどき書きたいと思います。
[PR]

by eisukem | 2010-11-08 22:20 | 電通
2009年 12月 18日

富士山は危険。

富士山には
一度登ったことがある。

電通の恒例行事、富士登山。
7月に新入社員と新任部長、関係会社ほかが
頂上からのご来光を目指して登る。


競争を禁止されているとはいえ
そこは各部署に配属された先輩たちの
プレッシャーもあり
とくに媒体局の体力に自信のある面々は
競争になる。

速いひとで
五合目から頂上まで2時間台だったと思う。


そのときの僕の順位は27位。
400人以上登ったわりには
悪くないかもしれない。
(ほんとは10位以内を密かに目指していたが
 スタート順位が遅かったのと
 思っていたよりきつかった。笑)



夕方からのぼりはじめ
頂上で一泊。
(ぎゅうぎゅうだ。その幅30cm。ほんとです。笑)

もちろん、その日に登れない人も多数いて
早朝、日の出まえにもう一度アタックする。

そして
みんなそろってご来光。

雲の上からみる太陽は
ほんとうにきもちいい。





しかし、そのときの気温も0度前後。

夏なのにだ。


冬の富士山は
それはもっとも危険な山となる。




カシオを担当していたとき
G-SHOCKのプロモーションを手がけていた。

ウェブのコンテンツをつくっていたが
そのなかでTOKYO WATCHという企画をつくった。


TOKYOの街のさまざまな顔をルポルタージュしながら
G-SHOCKのイメージと重ね合わせるという
ウェブマガジンだ。


TOKYO WATCHの取材には
僕もほぼ毎回立ち会った。


中でも
小笠原と雲取山が印象的だった。




雲取山をご存知だろうか?

東京で一番高い山だ。

埼玉と山梨の県境にある。


ここに2月に登った。

夏は
年配者も登る、登山としては
初級クラスだが
冬はまったく別の顔を持つ。

僕はカメラマン兼ライターと
プロの登山家ナビゲーター、3人で登った。


過酷だった。


気温がマイナス20度。


普通スキー手袋をしていったら
手が凍る。

あまりの痛さに
泣きそうになった。

凍傷というのはこういうふうになっていくのだと思った。


山頂につくころには
吹雪になっていた。

早く山小屋に入りたかった。

山小屋を発見したときは
心底うれしかったが
山小屋のなかは
マイナス15度だった。

こたつがあった。

こたつの中は0度だった。

こたつに足をつっこんで
これぞせんべい布団というべき
布団を4枚ぐらいかけて寝た。

息が凍って
落ちていくのがわかる。。



朝になった。


朝食がでた。

山小屋の主人が
「はやくたべな。凍るよ」

出された生卵が
みるみる凍っていく。

いそいで
みそ汁を胃にかき込んだ。


いい思い出だったが
もう冬山は登らないと誓った。



ところで
この登山の集合時間のとき
ナビゲーターの人が遅れて来た。

どうしたのか聞くと
「きのう、一緒に登っていた仲間が富士山で死んだ」。


プロでも
富士山で命を落とす。

日本で一番危険な冬山だと
教えてくれてた。


自然はあなどれない。
[PR]

by eisukem | 2009-12-18 16:06 | 電通
2009年 08月 13日

G-SHOCK4。

そのとき
僕は小笠原行きの船に乗っていた。

小笠原丸。

小笠原に行く唯一の手段。

片道28時間(当時)かかる。

同じ船がいってかえってくるので
最低でも1週間が必要だ。


世界一遠い場所といってもいい。



第4回国際イルカクジラ会議に出席するためだ。

いや、正確にはスポンサー作業をするためだ。


それまで
アイサーチの岩谷さんをつかった記事体広告の出稿作業や
深夜番組にソフトのPRを仕込みまくっていた。


いよいよ仕上げの作業。

そう、マスコミの人たちをこの会議につれていくために
アテンドしていたのだ。


しかし28時間というのは
あまりに長い。。


つづく
[PR]

by eisukem | 2009-08-13 11:51 | 電通
2009年 07月 06日

G-SHOCK3。

イルカブームを起こす。

が、しかしそんな簡単におこる訳がない。

でも
メロンブレインをつくる企画が持ち上がったということは
その種が世の中にあったから。

それを加速させることはできる。


あらゆるメディアを総ざらい。

すると
第4回 国際イルカ・クジラ会議というのが
開催されるらしいという情報をキャッチ。

これだ。

このコンテンツを核に、話題を広げていこう。
まずはパイオニアに協賛してもらう説得から
はじまった。


同時に、会議の主催者であるアイサーチジャパンという団体との
折衝にはいった。


両者の交渉は
思いのほかすんなりいった。

パイオニアにとっても
広告予算が限られている中
PRで話題が広がることを望んでいた。

僕らの提案により
国際会議に協賛および、当時パイオニアしかもっていなかった
テレビをたくさんつなげて大画面をつくるモニター
(名前忘れました。)の提供を決めた。

アイサーチには代表者である岩谷氏の広告出演を
承諾してもらった。


これでコンテンツはそろった。


つづく。
[PR]

by eisukem | 2009-07-06 18:24 | 電通
2009年 06月 12日

G-SHOCK2。

レーザーアクティブという機械をご記憶だろうか。

パイオニアがかつてつくっていた
レーザーディスクをROMにした
いわば大きなゲーム機である。

マルチメディアとい言葉が
世の中をにぎわせていたころ
画期的商品として
鳴り物入りでデビューした。

当然、新しいフォーマットの商品で
パイオニアしか手がけていなかったので
そのハードの普及のために
ソフトをつくらなければならない。


この商品のキャンペーンのみならず
そのソフトの制作を
なんと電通が請け負っていた。


確か5タイトルほど
計画されていたと思うが
どれも不思議な作品ばかりだった。

その中で
僕がかかわることになった作品が
メロンブレイン。

c0029779_1471622.gif







イルカの大辞典のような
作品だ。


プロデューサーは
野中英紀さん。
(細野晴臣さんと音楽ユニットをやっていた。)

そして
撮影監督は中野裕之さん。
(ディーライトのPVでグラミー受賞。)



正直、ジョン・C・リリーが登場するなど
難解な内容だったので
売れるかどうかは。。。かなり難しい。



イルカブームを起こすしかない。。。


1994年、入社一年目の冬だった。


つづく
[PR]

by eisukem | 2009-06-12 14:27 | 電通
2009年 06月 05日

G-SHOCK。

c0029779_12591541.jpg









電池がなくなったので
近所の写真屋さんに依頼していた
G-SHOCKが帰って来た。



このG-SHOCK、
ラスタカラーのレゲエバージョン。

液晶にはなんと
大麻の絵が書いてある。(笑)


僕はG-SHOCKを4つほどもっているが
すべてもらいものだ。


カシオは電通時代、僕のクライアント。

G-SHOCKとQV-10(デジカメ)を担当していた。


G-SHOCKは
限定モデル戦略をとっていた。

当時はやたらプレミアムがついたものも多い。


そんなプレミアムモデルの
イルカクジラ国際会議モデルというものがある。


一時は20万円以上したんじゃないかな。


その第4回イルカクジラ会議が
小笠原の父島で開催された。


僕はそこにいた。

そのときも
電通の仕事。

クライアントはパイオニア。



そして
数年後にもう一度
小笠原にいくことになる。

こちらはG-SHOCKの仕事だ。



そんな話をしようと思う。

つづく。
[PR]

by eisukem | 2009-06-05 12:59 | 電通
2008年 07月 04日

祝! 全日空エアバスA380購入決定!

今朝の日経新聞に
全日空はエアバス社の超大型旅客機A380の購入を決めたと書いてあった。

僕はこのニュースを喜ばずにはいられない。

今だから書けるが
実はエアバス社は僕のクライアントだった。

エアバスがクライアントになったのは
4年くらい前のことだろうか。

トップダウンでふってきた
クライアントで
電通にとってもめずらしい
(日本のブランチを介さない)外資系本社直仕事だった。


クライアントの要望は
きわめて難しかった。

「エアバスを日本で売ってほしい。」

なぜ難しいか。


150席以上の旅客機の世界市場は
アメリカのボーイング社と
フランス、ドイツ、スペイン、イギリスの共同資本であるエアバス社と
ほぼ2分している。


ところが
世界中で日本だけ特殊なマーケットになっている。

90%以上がボーイングだ。


航空機ビジネスというのは
開発から購入まで巨額の資本が動くので
政治銘柄になりやすい。

ロッキード事件もまさにその構造。

日本は
歴史的に80年代の貿易摩擦の見返り的な
政治的背景があり、
圧倒的なボーイングマーケットになってしまった。

さらには
日本の企業はボーイングの開発に資本をいれて
参加している関係もあり
日本全体としてボーイング寄りになってしまう。


航空機というのは
完全にB TO Bビジネス。

しかも決定権のあるのは
企業トップほか数名といわれている。

そんな状況において
コミュニケーション(マスメディア)の力で
1機300億といわれる飛行機を売るということができるのだろうか。。。


しかし
僕はこの仕事、かなり燃えた。

なぜなら
ボーイングの寡占市場なんておかしいじゃん。

公平な資本主義なんだから
航空機の性能がよければ
それに見合った市場をつくってもおかしくない。

それで
初めて公正な競争ができる。


この仕事、本気でやることにした。


つづく
[PR]

by eisukem | 2008-07-04 15:18 | 電通
2008年 07月 02日

カンヌグランプリ。

世界には広告賞と名のつくものは数々ある。

そのもっとも名誉が高いのが
カンヌ国際広告祭。

フランスのカンヌで行われる広告賞だ。

毎年、世界中からたくさんの作品が応募される。
もちろん、日本からも電通をはじめとして
たくさんの作品が寄せられる。

で、毎年いくつかの部門で
受賞作品があるのだが
なんと今年のカンヌのラジオCM部門でグランプリを受賞した。

その作品「あっという間」(英語タイトル:Shutter Chance)はこれ


僕のクレジットはアカウントエグゼクティブ。

つまり営業だ。

僕の電通最後のキャリアは営業。

入社以来ずっと(主にマーケティング)プランナーをやってきたが
最後の一年半はキヤノン、およびキヤノンマーケティングジャパンの
営業担当だった。

さまざまな仕事をしたが
キヤノンマーケティングジャパンにかかわって最初の仕事が
このラジオCMだった。

クライアントからの要望は明快。

「賞を獲ってください。」

そのためのスタッフィングをして
作品をつくり
そして栄誉ある賞を取れたのは
素直にうれしい。

ちなみにグランプリというのは
電通でも20年ぶりぐらいのことで
ちょっとしたニュースになった。
(日本でも過去数作品しかない。)


もちろん
賞を獲れたのは
山本渉くんという若手ながら才能あふれるプランナーが
いて、それをサポートするクリエイティブスタッフがいたからこそ。


電通生活、最後にいいプレゼントをもらました。

改めて
このチャンスをくれた
キヤノンマーケティングジャパン
電通
に感謝します。
[PR]

by eisukem | 2008-07-02 16:25 | 電通
2008年 06月 30日

「卒業」のその先へ。

本日衛介通信でも発表しましたが
15年3ヶ月勤めました、広告会社、電通を”卒業”(退社)しました。
(詳細は衛介通信をお申し込みください。バックナンバーを送ります。)

そうなんです。
僕はサラリーマンミュージシャンだったんです。

いままで
どうしてこの人は何度も中国にいくんだろうとか
どうしてフランスに何度もいくんだろうとか
なんでライブをなかなかやらないんだろうとか
なんでアルバムなかなか出さないんだろうとか
さまざまな疑問があった人もいると思いますが(笑)
いずれ疑問はこのブログ等を通して解けていくことと思います。


とにかく
とてもエキサイティングなサラリーマン生活をすごさせてもらったので
「すべらない話」だけに限定しても
ゆうに100エピソード以上はありますので
おいおいこのブログ他でご紹介したいと思います。
(これまでは一切かけなかった。笑)


とはいえ
あまりにいい会社にいたので
辞めるにあたっては相当な勇気と覚悟がいりました。

正直いろんな人から
「もったいない」とか
「ずっと二足のわらじだと思ってた」とか
いわれました。

しかしながら
今しかやれないことをやらずして
後悔することだけはやめようという気持ちです。

これは
電通に入社したときから
15年間毎日欠かさず考え続けた結果でもあります。




僕が電通を志望したときから
そして現在、それから未来へと
まったくぶれていないことが二つあります。

ひとつは
「日本をよくしたい」

もうひとつは
「融合(コラボレーション)」

15年間、これを目指してやってきたし
これからもこれを目指してやっていきます。

そういう意味ではこれから僕がやろうとしていくことは
実は電通にいようがいまいがまったく変わりません。


きっと15年後にこのブログを読み返したときも
同じことをいっていると思います。


じゃあ、電通にいればいいじゃないかって話ですが
僕は自分のパンドラの箱を開けてしまった。


「望月衛介のメロディー(クリエイティブ)を世に問う」。


これをやらずして死ねない。


クリエイティブは
生み出すのは一瞬だけれども
それを人に伝わるようにするには
”カタチ”にする絶対的な時間が必要。


とても大切な電通をあきらめることにしました。



これからは
アーティスト活動を加速させます。


しかしながら
僕は音楽領域に身をおきながら
いろいろな活動をすると思います。

なぜなら
僕の軸のひとつ、”融合”がテーマだから。


このテーマについても
語りだすととまらないので
いずれ少しずつ紹介します。


ただ
たとえば電通と音楽というものを
あるレベルでハイブリッドさせられるやつも
日本になかなかいないと思うので(笑)
その能力を生かした活動になることだけは
お知らせしておきます。



いずれにせよ
望月衛介、アーティストとしてどんなもんじゃいということを
これから見ていてください。


このブログを読んだのも
何かの縁だと思いますので。(笑)



最後に
15年間お世話になった電通、電通社員、関係者のみなさま
本当にありがとうございました。
[PR]

by eisukem | 2008-06-30 22:46 | 電通