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ピアニスト望月衛介のe-message

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2006年 02月 12日

鶴巻温泉。

まじかよ。。。

[横浜ー厚木 19m渋滞]


これから東名に乗ろうとする僕には酷な告知だった。

ほかの道路を選ぶよりはきっと
東名でいったほうが早い。

渋滞を覚悟して
そのまま、東名にのった。

しかし、なんとも気持ちのいい天気だろう。
あたたかで晴れ渡っている。


向かった先は
鶴巻温泉。

そこには僕の父方の祖母が入院している病院がある。


御年96歳。
入院するようになってからもう2年ほど会っていない。

なんとなく今日、いかなければならない気がして
朝から出発した。

それにしてもひどい渋滞だ。
普通なら15分でいける厚木まで
1時間かかった。

そこから小田原ー厚木道路で
平塚でインターをおりる。

そこから20分ほどで到着した。

そんな大きな病院ではないが
病棟がいくつかわかれていた。

二日ほどまえに
僕の両親も見舞いにいったのだが
なんだか調子が悪いようなことをいっていた。

病室を探して
歩いていくと
ちょっとした広間に
入院患者が集まっていた。

どう見ても
みんな80歳以上、全員車椅子。

老人独特のにおいと
病院のにおいが入り交じっている。

時刻は11時半。

そっか、もう食事の時間か。

その十数名のなかに
背中をまるめた祖母がいた。

なんとなくちょっと安心して
しばらく眺めていたが
彼女に声をかけるまえに
ナースステーションに寄って
食事時間を確認した。

一時間ほどだというので
ここで声をかけずに
食事が終わってから
話をしようと思った。

一旦、病院をでた。


望月千鶴(ちづ)

僕の祖母の名だ。
通称、「碑文谷のおばあちゃん」。
家が目黒の碑文谷にあるからそう呼ばれている。

僕は彼女が大好きだ。
小学校時代、京都に住んでいたが
夏休みになると家族で東京に遊びにきていた。

母の実家と父の実家、両方にお泊まりするのだが
碑文谷のおばあちゃんのうちでは
寝る前にきかせてくれる昔話がたまらなく好きだった。

中学〜高校時代は一緒に暮らしていた。
祖父が亡くなったのもこのときだった。

彼女はほんとうにタフだ。
5人の息子を立派に育て上げ
(僕の父は3番目)
彼女は小学校の先生をやっていた。

一緒に暮らしていると
あまりに世話を焼くのでうざったいところもあったが
逃げたりしない、人の嫌なことを率先してやるような人だった。

彼女の教職は最後は障害児の特別学級を担当していた。

教員を引退するとものすごく多趣味になった。
○油絵
○詩吟
○ハーモニカ
○旅行
油絵なんかは個展をなんども開いていた。
まだまだいろいろあったと思う。
とにかく歩くのが早くて、とても元気なおばあちゃまだった。

もう10年ちかく前だろうか。
彼女がいった。
「もうハモニカクラブやめようと思うんだけど。。。」
「どうして?」
「もうね、こんな年老いたおばあちゃんはね、みんなの迷惑かけるから。。。」
僕はちょっと言葉につまって
「でも、できるんだったらやったほうがいいよ。」
彼女の弱音をはじめて聴いた瞬間だった。

彼女は基本的に一人暮らしだったが、入院するまえ、7、8年ほどは
親戚のおばさまの面倒になっていた。

老人ホームなどのお世話になる案は幾度とあったが
彼女は碑文谷にすむことにこだわった。

住み込みでおばさまが面倒をみてくれることになって
それはそれでまるく収まっていた。

しかし、さすがに
もう体力がもたなくなって
おばさまも面倒を見切れなくなった。

先日、僕の母がおばあちゃまにきいたそうだ。
「碑文谷に帰りたい?」
「ううん、帰りたくない。。。」

ほんとは帰りたいのに。

いま、碑文谷には父の兄が住んでいる。

つづく


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by eisukem | 2006-02-12 18:12 | その他


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